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ヤナクの生い立ち【私が占い師になったワケ】③

 

原宿ほしよみ堂の

椰奈空〈ヤナク〉です。




私自身の生い立ちと、

なぜ私が占い師になったのか、

そのワケをお話ししていきます。



私と同じような体験をした方や、

これから占い師になろうとお持っている方の参考になれば幸いです。




今回は、前回の続き。


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ヤナクの生い立ち【私が占い師になったワケ】③


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IMG_2160.JPG

 

 

中学時代の私は、

学校では『優等生』を演じていました。




生徒会に所属して、副会長として

みんなの模範となる毎日。



 

あの頃は、

先生方の喜ばれることをすれば

幸せになれると思っていましたし、


みんなに認められることが

心地良かったのだと思います。




 

家では母の闘病が続いていましたが、


祖母が母の様子を見てくれていたおかげで、

私たち4人は学校に行けていました。



学校生活は山あり谷ありだったものの、

 

卒業生代表として答辞を務め、

『優等生』な中学時代は終了。




その後の高校では、

たくさんの初めてを味わいました。




高校時代の愛読書は、山本周五郎。


 

昔の武家の女性の人生に触れながら、

陰で夫を支えるその格好良さに

憧れていました。

 




高校生活で印象に残っているのは

初めて人とお付き合いしたことですが、


それはなんとも…

苦笑いしたくなるようなものでした。




クラスで一番のムードメーカーの彼と

お互い惹かれあって嬉しくなり。


それから付き合ったものの、

私の頭の中は『山本周五郎の世界』だったので

結婚前に男女の関係にはどうしてもなれず…


 


さらに彼のことを意識しすぎて

“好き避け”してしまい、

あっという間にぎくしゃくした関係に。



あの頃は不器用で、好きという思いを

相手に伝えるのが本当に下手でした^^;



 


その後は、

ひたすら夢に向かう日々になりました。



 

部活などでつらい時に助けてくれたのは、ラジオ。


言葉の力が

心をあたためてくれました。




この頃には、

『表現をすることで、

何か人に喜んでもらえることをしたい』

と思っていたので、



高校卒業後は、

俳優の道を志すことにしました。






(つづく)









椰奈空〈ヤナク〉


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