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奈良時代の〈まろまろバトル〉を追う!!激強!?1300年続く【長屋王の呪い】!

東大寺の大仏を建立した聖武天皇ののち、聖武天皇の娘である孝謙天皇が即位しました。

孝謙天皇は淳仁天皇に譲位しますが、乱をきっかけに退位させます。

その後、称徳天皇として重祚(1人の天皇が退位したのち再度天皇になること)しました。

この称徳天皇といえば、有名な政治事件を起こしています。

それが、宇佐八幡神託事件です。

簡単に説明すると、「道鏡(どうきょう)」という祈祷僧が称徳天皇に寵愛され、勢いのまま天皇になろうとした事件です。

実際、この時の政権は道鏡がほぼ握ってしまっていました。

道鏡の企てがうまくいってしまっていたら、今の日本は大きく違っていたかもしれませんね。

宇佐八幡って?

宇佐八幡宮については先日、「発言する神」として東大寺の大仏建立を守護するために九州から上京した、というお話をしました(前回のブログを参照)。

これをキッカケに、全国各地に八幡社が分社できるようになったのです。

現代でも変わらず、総本宮は九州の大分県宇佐市の宇佐神宮ですね。

大仏建立は無事成功し、宇佐八幡と朝廷との結びつきは強まりました。

その流れで称徳天皇も宇佐八幡宮の託宣を強く信仰していたのです。

この時代、天皇の他に〈政権を握る人物〉がおりました。

では、奈良時代の政権交代模様を、「道鏡」が政権を握るまで語っていきたいと思います。

※この時代、登場人物の名前が麻呂麻呂してるので混同しがちです。

私は「まろまろバトル」と称しています笑。

皆さんも、この時代の麻呂たちのエグい政権争いをまろまろ想像しながら読んでください(*´ω`*)

【長屋王の呪い】編

時代:奈良時代初期《藤原不比等→長屋王→藤原四子》

『大化の改新』で中大兄皇子と共に蘇我氏を滅ぼした「中臣鎌足」という人物がおります(ブログを参照)。

彼は臨終の際、中大兄皇子から【藤原】姓を賜ります。

平安時代には「藤原道長」という有名人が登場しますが、中臣鎌足が彼の祖先に当たります。

その中臣鎌足の息子が「藤原不比等(ふじわらのふひと)」です。

文武天皇→元明天皇→元正天皇の3名の天皇の代に政権を握っていました。

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藤原不比等(画像はWikipediaより)

不比等が没したのち、元正天皇から聖武天皇へ代替りし、不比等の娘:光明子聖武天皇の妃になりました。

不比等には息子たちもおり、彼らも一時、政権を握っています。

通称「藤原四子」と一括りにされますが、四家にそれぞれ分かれています。

[南家]武智麻呂(むちまろ)

[北家]房前(ふささき)

[式家]宇合(うまかい)

[京家]麻呂(まろ)

729年、四子は、父親:不比等の没後に左大臣となり政権を握っていた「長屋王(ながやおう)」を策謀により自害させます。

長屋王の変と呼ばれる事件です。

ちなみに長屋王は天武天皇の孫です。

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長屋王像(画像はWikipediaより)

1300年経った今でも長屋王の呪いが続いている、と奈良県では話題になっています。長屋王の邸宅跡に建ったデパートが次々と閉店していく…というお話です笑

呪いは最近に始まった話ではなく、奈良時代から「祟りがある」と語り継がれてきています。

長屋王を自害に追いやった藤原四子たちは、737年のたった1年間で4人全員が亡くなっているのです。

この異常事態に、当時の人々は「長屋王の祟りだ!」という話題でもちきりになったことでしょう。。。

実際は祟りではなく、唐からの船に乗って大陸から伝わった天然痘が急激に流行ってしまい、4人全員がかかって…というのが原因といわれています。

のちの世にも「怨霊」になった人物は登場してきます。

歴女として私は、呪いや祟りという類のものは存在するだろなぁと思っています、、、。

【橘奈良麻呂の乱】編

時代:奈良時代中期《橘諸兄→藤原仲麻呂》

藤原四子が737年に全員亡くなってから、「橘諸兄(たちばなのもろえ)」という人物が政権を握りました。

橘諸兄は藤原氏の血筋ではありませんが、不比等の娘で聖武天皇妃である光明子と同じ母親をもち、自身も不比等の娘:多比能と結婚しており、藤原氏との縁はとても強い人物です。藤原一族とも良好な関係でした。

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橘諸兄(画像はWikipediaより)

四子が亡くなったあと《右大臣》となり、遣唐使で唐に渡っていた玄昉吉備真備を登用し、18年間もの長い期間政権を握りました。

聖武天皇の『墾田永年私財法』発布時や大仏建立時だけでなく、聖武天皇の娘:孝謙天皇の即位時も、彼が政権のトップでした。

しかし、新たに台頭してきた藤原仲麻呂との対立により、隠遁することとなります。

藤原仲麻呂(なかまろ)」は、藤原四子のうち[南家]武智麻呂の息子です。

仲麻呂が政権を握ったことをとても不服に思う人物がいました。

それは、橘諸兄の息子橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)」です。

橘奈良麻呂は、父親が長いこと政権を収めてきて〈次は自分だ!〉と意気込んでいたわけです。

それが突然、政権を退いた一族がでしゃばってきて、父親は隠遁に追い込まれ自分が継ぐはずだった政権もとられてしまいました。

一方、藤原仲麻呂は長い年月をかけて、水面下で仲間からの支持を得たり味方を増やしたりして朝廷内で地道に立場を築き準備をしてきました。

757年、橘奈良麻呂は藤原仲麻呂を倒そうとします。しかし、密告されたことでクーデター計画がバレて、逆に滅ぼされてしまいました。橘奈良麻呂の変と呼ばれる事件です。

翌年、勝った藤原仲麻呂は太政官長官となります。

かねてから推挙していた皇子が淳仁天皇として即位し、藤原仲麻呂は「恵美押勝(えみのおしかつ)」という名を賜りました。

〈全ての民にあらゆる恵みを与え、あらゆる政権にってきた〉という意味のある名前です。

そんな縁起良い名前を賜ったものの、残念ながら彼の政権は長くは続きませんでした…。

次回は、奈良時代後期【恵美押勝の乱】編

アンド、奈良時代末期【宇佐八幡神託事件】編

をまとめてお送りします!!!( ´ ▽ ` )

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この記事を書いた人

瓔珞ルノン

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